滋賀の文化財講座・県指定矢川神社楼門解体修理
「これまで一般に知られてこなかった文化財調査や修理事業の実際、保存上の知識などについて、行政と博物館の協働のもと、専門的・具体的な最新情報を県民に向けて積極的に発信していこうとする試み」
として5月から始まった「滋賀の文化財講座」も今回で三度目。7月28日に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。
今回の講座は、
『県指定文化財・矢川神社楼門解体修理から
見えてくるもの』
をテーマに、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の
八木主査よりお話があり、約30人ほどの方が終始熱心
に耳を傾けていらっしゃいました。
大工さんとそのお弟子さんと思われる方の姿もあり、
文化財を守って行くには技能の継承に関心をもって
くださることは大切だと感じました。
※矢川神社公式webサイト
※矢川神社の場所:所在地)甲賀市甲南森尻70
今回お話があった矢川神社ですが、奈良時代の天平年間(729年~748年)に聖武天皇が紫香楽宮を造営された当時に創建されたと伝えられ(矢川神社公式webサイト)、その楼門は室町時代中期の建立とされています。
今回の解体修理は屋根葺替の時期が来たことが第一番目の理由で、昭和41年の文化財指定後、昭和59年の屋根葺替修理を県費補助事業として実施されていて、ちょうど屋根葺替時期になったこと、それに地元の氏子・崇敬者各位の御奉賛があって実現しているとのことです。(後日確認)
左は修理前の写真です。
随所に補強用の柱が打ち付けられた姿は
大変痛々しいです。
解体修理の目的は建物を保全することにあるわけですが、それを通じて建物の様式などを詳しく調べることも大きな目的と説明がありました。
解体修理は平成16年7月に事業開始され、平成19年6月に工事が完了しました。
1.解体
工事は建物全体を上屋根で覆い進められます。
定点から撮影された数十枚の写真を示しながら、
建物の木材が風雨の影響でかなり傷んでいる
ことを解説してくださいました。
2.調査概要
次に解体修理で調査する内容について説明がありました。
・実測調査・・・図面作成、建物の全体像の把握
・破損調査・・・破損状況および破損原因の把握
・部材調査・・・仕様および技法の把握、史料(墨書・刻銘等)の有無
・復原調査・・・痕跡の有無等
・史料調査・・・棟札、文書、刊行物、古写真等の把握
単純に修理するだけでなく、解体という貴重な機会を捉えていろんな調査が計画的になされることがよく分かりました。
3.破損調査
建物内部にまで雨水による影響が確認出来たと解説がありました。
また、12本ある柱の傾斜状況を詳しく調べた結果、ほとんどの柱が後方に傾いていることが確認出来たそうです。
4.技法調査
建物の組み物について解説がありました。
一つの屋根をくみ上げるだけですが
現在の住宅の構造では考えられない複雑な構造です。
「くの字」に曲がった垂木。
普通は二本の木材を交差させるらしいですが
ここでは一本の曲がった木を加工して作られていた
そうです。
5.上階の痕跡
解体の結果、楼門には上階が存在していた痕跡が確認されたそうです。
左の写真は建物内部にあった柱です。
上階柱の痕跡や、内部に使われていたにも関わらず
柱の左右に風化の差が確認出来ます。
※柱の左側が外部、右側が内部
そのほかにも上階が存在していたと思われる複数の痕跡が見つかったこと、本来楼門は二階づくりが普通であることなどから、矢川神社の楼門は何かの理由でやむなく一階づくりになってしまったと考えられるそうです。
この辺り、なんだかミステリーっぽくて大変興味を惹かれます。
左は重要文化財苗村神社楼門の様子ですが、
矢川神社楼門も建立当初は同じような構造で
あったと考えられています。
しかし、
①自然災害で破壊
②経済的理由から建立途中で規模縮小
などの理由で途中で改造されたことが幾つかの痕跡により
確認出来たそうです。
現在の矢川神社楼門は左の図のちょうど真ん中あたりに
屋根がある構造になっています。
社蔵文書「矢川雑記 巻二」に天正元年(1573)の大風のことが記されてあり、今回の解体工事による建物調査の結果などから、二階部分は自然災害で破壊され、当時では完全修復する余力もないことから一階部分に屋根が設けられたとの見解に至ったそうです。
6.墨書の発見
解体により見つかった間斗斗尻面の墨書には「文明十四年」の
文字が確認出来ます。
※文明十四年は足利義政が銀閣寺を建立した年と同じです。。。
7.組み立て
現代の一般住宅では見られないような複雑な
構造でくみ上げられていきます。
こうした工夫が風雨や地震などの自然の猛威に
数百年も絶えられる力を建物に与えているのだと
納得をしました。
昨今、重たい瓦葺きの屋根など何かと日本建築の特徴が地震に弱いと言われる訳ですが、それらはごく一部であって、日本建築が否定されるのは残念なことだとのお話に納得をしました。
過去から継承されてきた日本建築の素晴らしさが数百年、あるいは千数百年前の木造建築を未だに私たちの前に残してくれている事実があるわけですから。
8.竣工
事業開始後、3年の時を経て竣工しました。
今回の解体修理では木材部分だけですが、部材点数で概ね6割程度、体積では6~7割程度が再利用されたとのことです。(あくまで概算)
最後に琵琶湖文化館内の所蔵品を見学させて
いただき、講座が終了しました。
私たちは日常的に何気なく神社仏閣を訪れるわけですが、どの時代にもこうした文化財保護の取組があって、先人の財産を受け継いでこられているのだなと改めて理解することが出来ました。
今回の受講を通じ、より多くの方にこうした事実を知っていただきたいと思ったわけです。
次回、第4回の「知れば知るほど奥深い滋賀の文化財講座」は、『「県指定文化財の誕生-成菩提院・兜率天曼荼羅を中心に-」』と題し、8月25日(土)午後1:30より滋賀県立琵琶湖文化館(TEL077-522-8179)で開催されます。
受講は無料(但し入館料が別途300円必要)ですので、みなさんお気軽にご参加下さい。
滋賀県公式webサイト 滋賀県政eしんぶん 8月2日号にも案内があります。
として5月から始まった「滋賀の文化財講座」も今回で三度目。7月28日に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。
今回の講座は、
『県指定文化財・矢川神社楼門解体修理から
見えてくるもの』
をテーマに、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の
八木主査よりお話があり、約30人ほどの方が終始熱心
に耳を傾けていらっしゃいました。
大工さんとそのお弟子さんと思われる方の姿もあり、
文化財を守って行くには技能の継承に関心をもって
くださることは大切だと感じました。
※矢川神社公式webサイト
※矢川神社の場所:所在地)甲賀市甲南森尻70
今回お話があった矢川神社ですが、奈良時代の天平年間(729年~748年)に聖武天皇が紫香楽宮を造営された当時に創建されたと伝えられ(矢川神社公式webサイト)、その楼門は室町時代中期の建立とされています。
今回の解体修理は屋根葺替の時期が来たことが第一番目の理由で、昭和41年の文化財指定後、昭和59年の屋根葺替修理を県費補助事業として実施されていて、ちょうど屋根葺替時期になったこと、それに地元の氏子・崇敬者各位の御奉賛があって実現しているとのことです。(後日確認)
左は修理前の写真です。
随所に補強用の柱が打ち付けられた姿は
大変痛々しいです。
解体修理の目的は建物を保全することにあるわけですが、それを通じて建物の様式などを詳しく調べることも大きな目的と説明がありました。
解体修理は平成16年7月に事業開始され、平成19年6月に工事が完了しました。
1.解体
工事は建物全体を上屋根で覆い進められます。
定点から撮影された数十枚の写真を示しながら、
建物の木材が風雨の影響でかなり傷んでいる
ことを解説してくださいました。
2.調査概要
次に解体修理で調査する内容について説明がありました。
・実測調査・・・図面作成、建物の全体像の把握
・破損調査・・・破損状況および破損原因の把握
・部材調査・・・仕様および技法の把握、史料(墨書・刻銘等)の有無
・復原調査・・・痕跡の有無等
・史料調査・・・棟札、文書、刊行物、古写真等の把握
単純に修理するだけでなく、解体という貴重な機会を捉えていろんな調査が計画的になされることがよく分かりました。
3.破損調査
建物内部にまで雨水による影響が確認出来たと解説がありました。
また、12本ある柱の傾斜状況を詳しく調べた結果、ほとんどの柱が後方に傾いていることが確認出来たそうです。
4.技法調査
建物の組み物について解説がありました。
一つの屋根をくみ上げるだけですが
現在の住宅の構造では考えられない複雑な構造です。
「くの字」に曲がった垂木。
普通は二本の木材を交差させるらしいですが
ここでは一本の曲がった木を加工して作られていた
そうです。
5.上階の痕跡
解体の結果、楼門には上階が存在していた痕跡が確認されたそうです。
左の写真は建物内部にあった柱です。
上階柱の痕跡や、内部に使われていたにも関わらず
柱の左右に風化の差が確認出来ます。
※柱の左側が外部、右側が内部
そのほかにも上階が存在していたと思われる複数の痕跡が見つかったこと、本来楼門は二階づくりが普通であることなどから、矢川神社の楼門は何かの理由でやむなく一階づくりになってしまったと考えられるそうです。
この辺り、なんだかミステリーっぽくて大変興味を惹かれます。
左は重要文化財苗村神社楼門の様子ですが、
矢川神社楼門も建立当初は同じような構造で
あったと考えられています。
しかし、
①自然災害で破壊
②経済的理由から建立途中で規模縮小
などの理由で途中で改造されたことが幾つかの痕跡により
確認出来たそうです。
現在の矢川神社楼門は左の図のちょうど真ん中あたりに
屋根がある構造になっています。
社蔵文書「矢川雑記 巻二」に天正元年(1573)の大風のことが記されてあり、今回の解体工事による建物調査の結果などから、二階部分は自然災害で破壊され、当時では完全修復する余力もないことから一階部分に屋根が設けられたとの見解に至ったそうです。
6.墨書の発見
解体により見つかった間斗斗尻面の墨書には「文明十四年」の
文字が確認出来ます。
※文明十四年は足利義政が銀閣寺を建立した年と同じです。。。
7.組み立て
現代の一般住宅では見られないような複雑な
構造でくみ上げられていきます。
こうした工夫が風雨や地震などの自然の猛威に
数百年も絶えられる力を建物に与えているのだと
納得をしました。
昨今、重たい瓦葺きの屋根など何かと日本建築の特徴が地震に弱いと言われる訳ですが、それらはごく一部であって、日本建築が否定されるのは残念なことだとのお話に納得をしました。
過去から継承されてきた日本建築の素晴らしさが数百年、あるいは千数百年前の木造建築を未だに私たちの前に残してくれている事実があるわけですから。
8.竣工
事業開始後、3年の時を経て竣工しました。
今回の解体修理では木材部分だけですが、部材点数で概ね6割程度、体積では6~7割程度が再利用されたとのことです。(あくまで概算)
最後に琵琶湖文化館内の所蔵品を見学させて
いただき、講座が終了しました。
私たちは日常的に何気なく神社仏閣を訪れるわけですが、どの時代にもこうした文化財保護の取組があって、先人の財産を受け継いでこられているのだなと改めて理解することが出来ました。
今回の受講を通じ、より多くの方にこうした事実を知っていただきたいと思ったわけです。
次回、第4回の「知れば知るほど奥深い滋賀の文化財講座」は、『「県指定文化財の誕生-成菩提院・兜率天曼荼羅を中心に-」』と題し、8月25日(土)午後1:30より滋賀県立琵琶湖文化館(TEL077-522-8179)で開催されます。
受講は無料(但し入館料が別途300円必要)ですので、みなさんお気軽にご参加下さい。
滋賀県公式webサイト 滋賀県政eしんぶん 8月2日号にも案内があります。